50で最優秀防御率のタイトルを獲得するも4勝9敗、具臺晟もリーグ2位の防御率2. 52を記録しながら5勝7敗と投手陣を見殺しにする試合が多く、阪急時代の1963年以来39年ぶりとなる球団史上2回目の最下位に転落してしまった。特に接戦に弱く、1点差だと15勝23敗、2点差だと8勝21敗であった。5月14・15日にはダイエーの主催ゲームとして台湾・台北市立天母棒球場で2連戦を開催、球団としては阪急時代の1962年に当時の米国統治下にあった沖縄での対大毎戦以来40年ぶりの日本国外での試合となった。また、藤井康雄がこの年をもって引退した。中日から平井正史とのトレードで山﨑武司を獲得。 2003年 前年の極度の貧打を受けてシーズンオフにはメジャーリーグで将来を嘱望されたルーズベルト・ブラウン、ホセ・オーティズや中日で本塁打王を獲得した実績のある山﨑武司など長距離砲を積極的に補強したが、大砲に偏った構成が響いて開幕から打線のつながりを欠いて低迷。当初不振に喘いでいた外国人選手の起用を巡っての球団との対立もあって、4月23日に石毛は解任された。後任には打撃コーチを務めていたレオン・リーが就任し、オーティズを二塁手で起用するなどの極端な攻撃重視のオーダーを組んだ。これにより、打率と本塁打の向上こそ見られたが、得点力には必ずしも結びつかず、逆に投手陣に故障や不振が続出したところに、ブラウンやオーティズなど守備力に難がある選手が多かったことが重なり、ディフェンス面が壊滅。特に、7月26日から8月1日までの1週間で91失点し、その後も大量失点する試合が目立った。結局、シーズンを通しての失点は927(818自責点)にものぼり、シーズン通してのチーム防御率も5. 95という日本プロ野球史上ワーストの成績に終わる。特に対ダイエー戦では20失点以上を6月から9月にかけて毎月に計4度記録するなど[注 18]、守乱が目立った。48勝88敗4分、最終的な借金が40と大惨敗であった。球団史上初の連続最下位となり、レオンが引責辞任。後任にはこの年まで西武の監督だった伊原春樹が就任。オフにダイエーからFA宣言した村松有人、阪神からムーアを獲得している。 伊原監督時代[編集] 2004年 後述する近鉄との球団合併問題が発生し、ブルーウェーブとしての最後の年となった。この年もチーム防御率5.
セ・パ交流戦【オリックスvs阪神】考察サポートライブ 誰よりも阪神タイガースに詳しくなれる阪神予備校 校長のなんでやねん佐々木です
[ライブスポーツ!] ソフトバンク オリックス オンラインで見 パ・リーグTVで視聴できるプロ野球の試合中継
5ゲーム差の最下位でターンした。後半戦になっても浮上できず、8月16日の対ロッテ戦に敗れ、自力でのクライマックスシリーズの進出の可能性が消滅[62]。8月25日の対楽天戦に勝ち、最下位から脱出するも[63]、その後3連敗を喫し、最下位に逆戻りした[64]。8月27日に休養していた監督の森脇が31日付けで退任することと、球団シニアアドバイザーへの就任を発表した[65]。ヘッドコーチの福良が監督代行のまま指揮を執る。9月15日のソフトバンク戦(京セラドーム大阪)に6-1で勝利し、前身の阪急時代から数えてリーグ戦通算5000勝を達成した。なお、NPB所属の球団では巨人・阪神・中日に次いで4球団目で、パシフィック・リーグ所属球団としては初であった[66]。9月23日に元GM・監督の中村勝広が66歳で急逝した。終盤は楽天との5位・6位争いとなり、10月3日の対ソフトバンク戦に勝利し、5位が確定した[67]。大型補強を行い、優勝候補と謳われながら、首位・福岡ソフトバンクと30ゲーム差のBクラスに終わった[68]。監督代行の福良が翌年から正式に監督として指揮を執ること、球団OBの田口壮が二軍監督に就任することを発表した[69]。しかし、オフに谷佳知と平野恵一の両ベテランが現役を引退し、馬原孝浩、坂口智隆、井川慶、ヘルマン、榊原諒、鉄平ら移籍組が戦力外通告を受け、相次いでビックネームが退団した(坂口はヤクルトに移籍、馬原、ヘルマン、榊原、鉄平は現役を引退)。ちなみに、この年には現役最年長野手で実働29年のNPBタイ記録を持った、日本ハムのバッテリーコーチ兼捕手だった中嶋聡も現役を引退したため、阪急ブレーブス→オリックス・ブレーブスに所属した選手が全員引退した。ドラフトでは10位選手まで指名し、大幅な「血の入れ替え」となった[70]。新外国人としてブレント・モレル、ブライアン・ボグセビック、エリック・コーディエを獲得。 2016年 キャンプ直前に昨年まで正遊撃手を担っていた安達了一が潰瘍性大腸炎を発症して離脱、キャンプ中には新外国人としてパット・ミッシュを獲得。オープン戦を中日、DeNAと同率の最下位(10位)で終えるとシーズンに入っても投打ともに低調な状態が続き、金子、西といった先発陣だけでなく、新守護神として期待されていたコーディエら救援陣も大量失点する試合が目立った。打線もリーグ制となってからワーストとなる「チームとして開幕から13試合連続無本塁打」の記録を樹立してしまった[71]。その後も貧打は続き、5月17日に元中日のマット・クラークを獲得[72]。交流戦は5勝13敗で最下位に終わった。一方、7月17日にヤクルトから近藤一樹とのトレードで八木亮祐を獲得[73]。後半戦も低迷から抜け出すことはできず、本拠地最終戦となった9月29日の楽天戦に敗戦し、2年連続Bクラスと2012年以来4年ぶりの最下位が確定した[74]。同一シーズンでオープン戦・交流戦・公式戦・二軍のすべてが最下位となるのは史上初で[75]、さらに公式戦では全球団に負け越し、交流戦でもシーズン中のトレード相手のヤクルトを除く全球団に負け越す結果となった[76]。しかしながら、シーズンのチーム捕逸数が「0」という日本プロ野球史上初の記録を達成した[77]。また、チーム打率・得点・安打・チーム防御率リーグ最下位、本塁打・失点は5位に低迷した[78]。オフに齋藤俊雄が戦力外通告を受け、その後現役を引退した。新外国人としてステフェン・ロメロを獲得。糸井嘉男が阪神にFA移籍[79]。 2017年 この年から二軍の本拠地が舞洲サブ球場へと移転。練習場と合宿所も含めて神戸から大阪へ移る形となった(詳細は後述)。首位楽天と2ゲーム差の2位で4月を終えるが、5月は4連敗、6連敗、そして2003年以来の球団ワーストタイ記録の9連敗、9カード連続負け越しを喫し[80]、5月下旬の交流戦前に一時順位は5位まで下がった。5月22日、奥浪鏡が運転免許停止中に自家用車を運転して交通事故を起こし、8月3日に退団[81]。5月28日のロッテ戦で山岡が初勝利して交流戦に入り、6月4日の巨人戦まで7連勝し、交流戦を単独首位でスタートするが、6月11日の中日戦から17日のDeNA戦まで6連敗を喫する。19日のDeNA戦で逆転勝ちし、交流戦再編後初の勝ち越し、交流戦で6位に入った。なお、広島には3年連続で3連敗した[82]。長打不足解消のため、5月30日に新外国人としてクリス・マレーロを獲得。交流戦初戦から単独4位に浮上するが、その後は順位の変動がなく、3位楽天と15ゲーム差の4位に終わった。モレルが現役を引退した。オフに日本ハムからFA宣言した増井浩俊、新外国人としてアンドリュー・アルバースを獲得。平野佳寿がアリゾナ・ダイヤモンドバックスにFA移籍。 2018年 開幕からロメロ、T-岡田ら中軸は打撃不振に陥ったものの、田嶋大樹、アルバース、増井ら新入団の投手の奮闘で一時はAクラスに立った。一方、7月9日にDeNAから伊藤光、赤間謙との2対2トレードで髙城俊人、白崎浩之を獲得。入団3年目の吉田正尚がシーズン中盤から4番打者に定着。オールスター明けには8連敗を喫した[83]。最終的には4年連続Bクラスと2年連続4位が確定した[84]。オフに福良が監督を辞任し、後任にヘッドコーチの西村徳文が監督に昇格する形で就任することが発表された[85]。小谷野栄一が現役を引退した[86]。オフに中島宏之、金子千尋が自由契約となった(中島は巨人[87]、金子は日本ハム[88]に移籍)。西勇輝が阪神にFA移籍[89]。新外国人としてジョーイ・メネセス、ヤクルトを自由契約となった成瀬善久を獲得。 2019年 この年から英字略称および帽子やヘルメットのロゴマークが「Bs」から「B」に改められた。3月21日にシアトル・マリナーズに復帰していたイチローが現役を引退した。6月27日に禁止薬物を使用していたことが発覚したメネセスとの契約を解除した。6月30日に中日から松葉貴大、武田健吾との2対2トレード+金銭トレードで松井雅人、松井佑介、スティーブン・モヤを獲得[90]。9月29日に京セラドームで行われた引退試合を最後に岸田護が現役を引退した[91]。この年は5年連続Bクラスと2016年以来3年ぶりの最下位が確定した[92]。山岡泰輔が最高勝率[93]、山本由伸が最優秀防御率を受賞[94]。オフに髙城俊人、成瀬善久、ロメロが自由契約となり(髙城はDeNA、成瀬は栃木ゴールデンブレーブス、ロメロは楽天に移籍)、マレーロが退団した。新外国人としてアダム・ジョーンズ、タイラー・ヒギンス、アデルリン・ロドリゲスを獲得。 2020年 引き分けを挟まずに開幕戦9連敗とし、パ・リーグ記録に並んだ[95][注 24]。6月23日から始まったZOZOマリンスタジアムでのロッテとの6連戦では最終日の28日まで勝利を飾ることができず、日本プロ野球史上初となる同一球場同一カード6連敗を喫した[96]。同日に先発した昨年最高勝率の山岡泰輔がこの試合で緊急降板、戦線離脱した。一時は5位に何とか持ち直すも、その後福岡ソフトバンクホークスに連敗し、再び最下位に転落。8月20日の試合終了後に西村は会見を行い、成績不振を理由に監督を辞任(事実上の解任)し、併せて二軍監督の中嶋聡が監督代行として指揮を執ることを発表し、コーチ陣も一・二軍間の入れ替えなど、大幅なテコ入れを図った[97]。 中嶋監督時代[編集] ※2020年の監督代行時代も含める。 8月21日の監督代行就任初戦の対埼玉西武ライオンズ戦、先発の山﨑福也が好投し2安打1失点。打線はジョーンズがホームランなど3打点を記録し、初陣勝利となった[98][99]。また、9月9日にT-岡田が代打で5球団目となる球団8500号となるホームランを放ったが[100]、低迷したチームを立て直すことなく、借金が増えていき、14日の試合に敗れ、シーズンワーストの借金23にまで達し[101]、10月29日の対北海道日本ハムファイターズ(札幌ドーム)に敗れ、球団合併後初の6年連続Bクラスと2年連続最下位が確定した[102]。最下位決定後は高卒ルーキーの紅林弘太郎をプロ初出場から5試合連続でスタメン起用するなど[102]、翌年に向けて若手を起用した。監督代行の中嶋が翌年から正式に監督として指揮を執ることを発表した。オフに白崎浩之、松井佑介、アルバースとロドリゲスの両外国人選手が自由契約となった(白崎は大分B-リングス、松井は現役を引退、ロドリゲスは2022年シーズン途中、阪神に移籍)。阪神を自由契約となった能見篤史を投手兼投手コーチとして獲得。楽天を自由契約となったロメロが2年ぶりに復帰。 2021年 2月6日にシアトル・マリナーズからFA宣言した平野佳寿が4年ぶりに復帰[103]。開幕戦を10連敗とし、パ・リーグ記録を更新[注 24]。4月・5月は勝率5割を切り、低空飛行が続く一方で、5月20日にブランドン・ディクソンがウェイバー公示され(セントルイス・カージナルスに復帰)、新外国人としてグレン・スパークマンを獲得。交流戦に入ると、一気に躍進し、交流戦12勝5敗1分(勝率.
【藤川球児のCS戦評】『ヤクルトvs阪神』&『オリックスvs 10月12日(水)セパCSファイナルステージ一戦目藤川球児目線の戦評を速報でお知らせ!CSファーストステージ
5ゲーム差の3位で前半戦を折り返したが、8月に4位に転落すると、イチローの戦線離脱が追い討ちとなってAクラス争いからも脱落。結局4位に終わり、オリックスへの球団譲渡後としては初、球団としては阪急時代最後のシーズンである1988年以来12年ぶりにBクラスに転落した。また、オフにイチローがポスティング制度を利用してシアトル・マリナーズに移籍。この年オフから3年間、ドラフト下位指名選手は「契約金ゼロ」での入団(活躍後の後払い)を実行するなど、若手にハングリー精神を植え付けようとする試みを始めたものの、効果は出ず、チームの弱体化に歯止めはかからないままだった。 2001年 ハンファ・イーグルス(韓国)から獲得した具臺晟や新人の大久保勝信を加えて臨んだ。イチローの守っていた右翼では若手の葛城育郎がレギュラーを確保し、大久保も抑えとして新人王を獲得する活躍で、8月初旬では首位近鉄に2. 5ゲーム差の位置につけていた。しかし、8月下旬に7連敗を喫し5位にまで転落すると9月26日の対近鉄戦(大阪ドーム)では、大久保が北川博敏に代打逆転サヨナラ満塁優勝決定本塁打を喫した。終盤に盛り返し、シーズンを4つの勝ち越しで終えたものの、順位は4位と2年連続のBクラスに終わった。このシーズンをもって仰木は監督を退き、後任には石毛宏典が就任。この年に左翼のレギュラーで、チームの精神的支柱の田口壮がFA宣言を行い、セントルイス・カージナルスに移籍。 石毛・レオン監督時代[編集] 2002年 この年はチーム打率. 235と極端な貧打に悩まされた。この貧打により、主戦投手の金田政彦が防御率2.
2022年6月10日 オリックス対阪神 試合ハイライト - YouTube 2022/6/10